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2018年新曲掲載中ゥ!
FC岐阜の応援曲(チャント)を歌って、アツく応援しましょう!
FC岐阜 応援曲(チャント)紹介ページ
(最終更新 2018.06.23)


過去に歌われていたFC岐阜の応援曲(チャント)紹介ページはコチラ (最終更新 2018.02.25)


旗を作って振って応援を盛り上げよう!
アテにならないフラッグ製作講座
(最終更新 2012.05.15)


ゲートフラッグを作って掲げて応援を盛り上げよう!
アテにならないゲートフラッグ製作講座
(最終更新 2010.05.06)


遠征の楽しさを伝達する『アテにならない遠征報告』はここからでも閲覧できます。
遠征報告と言ったにもかかわらず、試合内容は殆ど書かれていない奇妙なレポート。(笑)
(最終更新 2017.11.06)


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2013年3月1日より Twitter も始めました。


弊ウェブログのFC岐阜応援曲紹介ページを更新しました。

主な更新内容は、6月10日に公開された、竹田忠嗣選手の新応援曲の紹介です。

また、古橋亨梧選手の名前の漢字表記間違いを修正いたしました。
今まで誤った表記をしていたことに気が付かず、ご無礼いたしました。
お詫びして訂正いたします。
本日、5月5日は「こどもの日」ですね。
男女問わず、こどもの健やかな成長を願う日だそうです。


実は、2018年4月19日に、私ども夫婦の第一子が産まれました。

その子の話を記していきます。




悲しい話になると思います。


結論から言うと、子はもうこの世に居りません。


そういう話がニガテな方は、この先を読まず、クールに去ることをオススメします。







2018年の年明け、妻が妊娠していることが発覚しました。
待望のやや子です。
発行してもらったばかりの母子手帳を眺めながら、夫婦揃って大喜びしました。

8月下旬~9月上旬あたりで出産になる予想との事でしたので、
出産・育児の計画もそのように立てておりました。

私は、家事も育児も積極的にやりたいという想いが強いのです。
男だろうが何だろうが、育児をしたいんですから、仕方ないよね!

そのため、職場には、子が産まれたら育児休業を半年~1年間は取得する意志がある事を伝えました。

また、私が趣味でやっている、
故郷のFC岐阜というサッカーチームの応援活動も、
出産時期になったら休止する計画でおりました。
シーズンが始まったら、FC岐阜の応援仲間達に、
出産・育児のために応援活動から退く計画がある事を伝えるつもりでいました。

そんな具合に、子のために尽くせるよう、計画を組んでいました。


ところが、妻の妊娠生活は、順調ではありませんでした。



妊娠から10週間目。

定期検診で、医師より『切迫流産』と診断されました。

『切迫流産』とは、「流産」しかけている状態を指すそうです。
『流産』とは、お腹の中の子が育つ前に、産まれてしまう事です。
育つ前にお腹の外に出てしまった子は、現代の医療では生きていけません。
「流産」してしまうと、子の命が潰えてしまうのです。

医師からは、とにかく安静にするように告げられました。
流産を抑える薬を毎日飲むように伝えられ、さらに、
「3週間は会社を休み、自宅療養が必要」という、診断書のような書類をもらい、
妻は3週間、会社を休む事になりました。

私は、妻が安静にしていられるように、全ての家事を請け負いました。
とは言え、普段から殆どの家事を私がやっていたので、家事は苦になりませんでしたが、
いつ流産してもおかしくない状態というのは、辛いものがありました。
妻本人はもっと辛い想いをしていたことでしょう。

この時期、私は感染症にかからないよう、妻に感染症をうつさないよう、
手洗い、うがい、マスク着用を徹底しました。
感染症を「持たない。作らない。持ち込まない。」を指針にして、
健康面に気をつけながら生活していました。
おかげで、この冬は夫婦揃って風邪ひくことなく健康に過ごせました。



妊娠から13週目。

自宅安静に努めていたため、状態も良くなり、
医師より出勤しても良いという診断が出され、
妻は職場に復帰しました。

これで一安心かと思いました。


しかし…



妊娠から14週目。

私が仕事をしていると、妻が緊急入院したという電話が来ました。
近所にある、妻かかりつけの産科に入院したとの事。
すぐに仕事を放り出して、入院先の病院へ駆けつけました。

妻が職場で働いているときに『破水』したそうです。

『破水』とは、お腹の中の子の周りにある「羊水」という液体が、抜け出てしまう事です。
通常は、適正な出産時期(妊娠から40週目あたり)の分娩前に起こるものなのですが、
これほど早い時期に『破水』してしまうのは、異常な事態です。

『破水』の原因は詳しく分からないのですが、
羊水を覆っている膜が元々貧弱で、羊水の重みに耐えきれず、膜が破れたのかもしれません。

原因は兎も角、羊水が無くなってしまったのは、相当マズイ事です。

お腹の中の子にとって、「羊水」は重要なものです。
羊水によって外からの衝撃やバイ菌から守られていたり、
羊水によって動いたり成長できる空間が作られたり、
羊水を取り込みながら肺や消化管を発達させていったりと、
かなり重要な役割を羊水が担っているそうです。

それがまだお腹の中の子がほとんど育っていない時期に、
破水して羊水の殆どが抜け出てしまったので、子の命が危うい状態となってしまいました。

医師の説明を聞きました。
・数日後には『流産』になる可能性が高い。
・羊水が無いため、感染症にかかりやすく、お腹の子が感染症にかかったら、子の命は助からない。
・羊水が無いため、子が圧迫されて正常に成長できず、身体機能に異常が発生するリスクが高い。
・まれに、羊水が無くても順調に育っていく事例は有るが、可能性は低い。

説明を聞いて、愕然としてしまいました。

やんわりと『人工妊娠中絶』の選択肢も有ることも伝えられました。
『人工妊娠中絶』とは、人の手によって意図的に妊娠を終わらせる事です。
つまり、意図的にお腹の子の命を奪う事です。

さすがに『人工妊娠中絶』はイヤだと思いました。
わずかでも可能性があるなら、今お腹の中に居る子供の命を助けたい。
妻も、そう思っていました。
私ども夫婦は、諦めの悪い性格をしているんです。

というわけで、妻の長い入院生活が始まりました。
流産を抑える薬を服用して、出来る限りベッド上で寝たきりの入院生活です。
最長で約6ヶ月は入院が続く事を覚悟しました。

入院費用も心配です。
健康保険の『限度額適用認定』が利くとはいえ、保険適用外の請求もありますから、
入院1ヶ月分の支払い金額は約15万円あたりでしょうか。
結構な額ですよね。
もう趣味のFC岐阜の応援どころの話じゃあ無いです。
この週末には、福岡への遠征試合に行く予定でしたが、迷わずキャンセルしました。
また、FC岐阜の年間チケットも買っていたのですが、それ以降の試合にも行くことは止めました。
妻の医療費を確保するために、趣味に費やすお金は無くしたかったのです。
急に試合に行けなくなって、応援仲間達にずいぶんと迷惑をかけたのは、申し訳なく思います。

ここでの入院生活は、妻が安静に気をつけていたおかげか、
流産になりそうな兆候も無く、きわめて順調でした。
お腹の子も、羊水が無い状態なのに、順調に標準的な大きさに育っていきました。
私はほぼ毎日、妻の見舞いに行って、お腹の中のエコーの写真を見て、
子が大きくなっていく様子が嬉しく頼もしく思えました。
もう奇跡としか言いようがないくらい、順調でした。
あきらめずに妊娠を継続して良かったと思います。



妊娠から20週目。

お腹の子が順調に大きくなってきたので、医師より、20週目になったら、
『人工羊水』を注入するため、大きな病院へ転院しなくてはならない事を告げられていました。

よって、この週に、慣れ親しんだ近所のかかりつけ医を離れ、政令指定都市の大病院へ転院です。

病院から病院への転院の移動手段は、なんと救急車で搬送となりました。

転院先の病院に搬送された後は、診察が行われて、
医師より、妊娠を継続するか、人工妊娠中絶をするかを問われました。
夫婦揃って迷い無く、妊娠継続を希望する事を伝えました。

そして妻は、「MFICU(母体胎児集中治療室)」という部屋に入院となりました。
すぐ隣りには、「NICU(新生児特定集中治療室)」が併設されており、
重篤な状態で産まれた子の生命維持が出来る態勢になっていました。

その日のうちに、『人工羊水』を注入するための処置が行われ、
お腹に管を入れて、そこへ点滴のように人工羊水を入れ続けられる状態になりました。
人工羊水を入れると、お腹の子がビックリしたのか、元気に手足を動かしたそうです。
お腹の子にも異常は無く、このまま妊娠が継続できるようになりました。
それでも流産の危険性はありますが、羊水が無い状態よりはずっとマシなんだそうです。

ただ、すでに破水しているため、人工羊水を入れるそばから少しずつ漏れてしまうので、
人工羊水を常に少しずつ入れ続けていかなくてはならないのが大変です。
漏れた人工羊水は、介護用品の大人用おむつや尿取りパッドなどで吸水していきます。
身体を起こすと、一気に人工羊水が漏れてしまうので、完全に寝たきり生活を強いられました。
“はばかり”もベッド上で看護師さん達に介助されながら、用を済ます事になります。

これほど、大変な入院生活になってしまい、妻はさぞかし大変だったと思います。
妻が好きだったピアノ演奏も出来ず、相当ストレスも溜まっていたはずです。
私に出来る事は、毎日見舞いに行って、
身の回りの世話をしたり、消耗品を搬入したり、励ましたりするくらいです。
こんな事になってもヘコたれない妻は偉大だと思いました。



妊娠から22週目。

やっと、この週になりました。
このとき、私はTwitterでこうツイートしました。
2018041701_2018050223075746b.jpg

妊娠から22週目以降に生まれた子は、『流産』にならず『出産』となるのです。
とは言え、まだ完全に成長していない状態ですので、産まれたとしても生存率は低いそうですが、
産まれて生存できる可能性が出てくるのが、妊娠22週目なんだそうです。
妊娠22週目以降、産まれるのが遅ければ遅いほど生存率が上がっていくそうです。
もう、ここまで来たら、あとは1日でも遅く、1時間でも遅く、産まれてくる事を願うばかりです。



妊娠から22週目と2日。

4月19日。
いつものように会社を退勤して、妻の入院先の病院へ見舞いにいきます。
そうしたら、いつもと様子が違います。
MFICUのスタッフさん達が妻の部屋に集まっていて、妻も苦しそうな表情です。
お腹が張っていて、子宮口も開き初めていて、子が産まれてしまうかもしれないとの事。
スタッフさんから、
「ちょうど、ご主人を呼び出そうとしていた所です!このまま今夜は居てください!」
と言われました。
会社帰りにふらっと立ち寄っただけなので、何も準備してきていませんし、夕飯も食べていませんが、
そんな事は言っている場合じゃあないので、このまま徹夜する覚悟で残ることにしました。

医師からは、
「もうすぐ産まれそうだが、出産のタイミングを見極めている所。
お腹の子はまだ未成熟なため、1時間でも1分でも遅く出産をしたい。」
と説明がありました。
また、通常分娩では、出産時に子を圧迫してしまうリスクがあるため、
『帝王切開術』で出産することも決まりました。
あとは、いかに出産のタイミングを遅くするかです。
妻もそれを分かっているので、苦しみながら耐えていました。

スタッフさん達が、お腹の子の心音を聞いたり、様子を診察しながら、
もう、これ以上は出産を遅らせる事は出来ないッ!という時になったようで、
妻は手術室へ運ばれていきました。
運ばれていく時、妻は親指をグッと立てていきました。カッコイイなオイ!


しばらく、院内で待っていると呼び出しがあり、
4月19日の21時06分に、460gの女の子が生まれたと言われました。
手術は完了していて、妻も無事だそうです。

産まれたばかりの娘は、生命維持のための処置が行なわれ、NICUに入院となりました。

今度は、NICUに行き、医師より娘の出産祝いの言葉と共に、病状についての説明を受けます。
・1000g未満の「超低出生体重児」のため、保育器に収容して、加温加湿している。
・肺機能が未成熟で呼吸が不十分なため、人工呼吸器を装着している。
・循環が不安定なため心臓をサポートする薬剤を投与している。
・栄養は鼻から胃に管を入れて、母乳を投与できるようにしている。
・入院期間は新生児の標準的な体重に増える頃まで続く。

…などのような内容でした。
特に重要なのは、この数日から2週間くらいが最も危険な時期だという事です。
呼吸障害、循環障害、感染、脳出血、壊死性腸炎などが原因で、
あっけなく死亡してしまう可能性があるのです。

長く重要な説明が終わった後、産まれたばかりの娘を見せてくれるそうなので、見てみました。
すごく小さくて可愛いかったです。
小さくて細い手足も健気に動かしていました。
身体のアチコチに管や点滴やモニターなどが付けられていて、
医療技術によって命が維持されているんだと実感しました。
それでも、生きて産まれてきた事に感動して、涙がちょちょぎれんばかりに出てきました。

娘との初めての面会が終わりました。

面会終了後、妻の病室に戻るとき、
娘に与えるための母乳は、妻が回復し次第、母乳を絞り、
専用容器に入れて、NICUに持っていく方式になると言われ、
専用容器に貼り付けるラベルを持たされました。


妻の病室へ戻ります。

全身麻酔から明けた妻は、まだ酸素マスクを付けて横たわっていましたが、意識はハッキリしていました。
娘について、先ほど医師から受けた通りに説明をします。
まだ命の危険がある事もしっかり伝えましたが、
それよりも生きて産まれた事を夫婦で喜び合いました。

今まで、流産を抑える薬で無理やり延命させて、お腹の子を苦しめていたんじゃないか、
延命させて、それで良いのか?本当に子のためになるのか?と、不安に思っていましたが、
生きて産まれてきて、その不安もフッ飛びました。

諦めずにここまで頑張った妻と子を盛大に称えました。
諦めの悪い性格の夫婦で良かったと思いました。

そして、娘の名前を決めなきゃ。という話になりました。
こんなに早く産まれると思っていなかったので、決めていませんでした。
…が、妻はすでに娘の名前を考えていたようで、妻の希望通りの名前に決まりました。


しばらく、病室で待機していると、スタッフさんより、
妻も娘も病状は安定しているので帰宅しても良いと言われ、
日付が変わった翌4月20日の3時頃に私は帰宅しました。

帰宅後、娘が産まれた嬉しさで、飛び跳ねながら喜び、
歓喜しながらTwitterに娘が産まれたツイートをしました。
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しかし、このツイートをした直後、自宅の電話のベルが鳴ります…。

病院からの呼び出しでした。

娘の病状が急に悪化していると…。



休む間も無く、病院へ戻ります。
病院へ着いたのは4時20分頃でしょうか。

NICUに駆けつけると、娘の保育器の前に、妻のベッドが横付けされておりました。
妻は手術後だというのに身体を起こして、娘を見つめています。
娘の名前を呼びながら、頑張れ~、頑張れ~と、声もかけています。
ほんの数時間前まで元気に手足を動かしていたのが嘘のように、娘はぐったりしています。

娘の心拍数が弱っているようで、スタッフさん達が交代で、胸骨圧迫の心臓マッサージをしています。
3分間、心臓マッサージをして、心拍数や血圧をチェック。
回復の兆しが見えず、心臓をサポートする薬剤を投与して、再び3分間の心臓マッサージ。
このサイクルの繰り返し。

しばらくの間、スタッフさん達が懸命に治療を続けていましたが、
娘の心拍数も血圧も弱る一方でした。

私たち夫婦に出来る事は、娘を見守りながら、優しく声をかけてやるくらいです。
もう、この時から、私は泣いておりました。
目から涙、鼻から鼻水、口からヨダレ、いわゆる“顔中から失禁する”という状態です。

そして、とうとう、娘は自力で心臓を動かす事が出来なくなり、
最期を迎える前に、娘を保育器から出して、抱かせてもらうことにしました。
妻はそっと娘を抱きしめました。

娘は妻に抱き抱えられたまま、最期の診察を医師より受け、
4月20日の5時33分に死亡が宣告されました…。

産まれてから、わずか8時間27分で、娘の命が終焉を迎えてしまいました…。


妻も私も大泣きしました。
人目も憚らず声を出して泣きました。
妻と共にMFICUの病室に戻った後も泣き続けました。

妻があれだけ頑張ってきたのに。
妻がやりたい事を我慢して、子が無事に産まれ育つように精一杯心がけてきたのに。
まだ母乳もあげていないのに、おむつも替えていないのに、逝ってしまうなんて。
世の中には楽しい事や感動する事がいっぱいあるのに、それらを知ることなく逝ってしまうなんて。
お腹の中でも、産まれてからも、苦しい事しか味わっていないなんて、娘が気の毒すぎる。

「でも、一番頑張っていたのは、娘だった。」
「生きて産まれるために、娘は今まで頑張っていたんだよね。」
と、妻も私も、そう言いました。


この世の終わりのような感覚になり、しばらく妻の病室で過ごしていました。

夜が明け、日中になると、私はスタッフさん達に呼び出されました。
今後の予定についての話と、事務手続きの話などをするためです。
妻の退院計画の他に、娘の出生届、死亡届、火葬場の手配、子供医療費助成金の事など。
辛いけど、私がやらなくてはいけない事ばかりです。
しかし、説明を受け始めてすぐ、私は娘の事を思い出して泣いてしまい、
手が震えて、書類に何一つ記入が出来ませんでした。
スタッフさんから、
「後日落ち着いた頃に説明するから、そのときで大丈夫。」
と言われ、私は帰宅する事にしました。

帰宅時、涙で前が見えづらく、車の運転も大変でした。
少し走らせ、涙が出てきたら、安全な場所に車を停止させ、
泣きやんだら車を走らせる、といった事を繰り返して、帰宅しました。

帰宅して、Twitterを見ると、娘の誕生を祝うメッセージが多く来ていました。
娘が祝福されて有り難い事なのに、もう娘はこの世に居らず、なんだか申し訳ない気分になりました。
亡くなった事もしっかり伝えねば不誠実だろうと思い、こうツイートしました。
2018042001.jpg



4月23日には、20日に出来なかった事務手続きなどの説明を受けて、各種書類の記入が終えました。
それから、妻の退院が4月27日に決まり、それに合わせて娘の火葬を4月28日に決めました。


私は、市役所での出生届や死亡届の手続きや、
妻の退院から娘の火葬までの段取り等で多用になりました。

もし、娘が2日以上早く産まれていたら、出生届も提出できず、
名も無き胎児の流産として処理されていたことでしょう。
それを思うと、ちゃんと名前を付けて戸籍に入れて、
弔う事が出来るのは、幸せな事かもしれません。


妻が退院するまでの間、病院の看護師さん(医療ソーシャルワーカーさんかも?)達から、
メンタルのケアになるようなアドバイスなども受け、私達は少しずつ立ち直れるよう努めていきます。

娘の事を忘れようとするのではなく、娘との想い出を生涯大事にしていくことが良いと思いました。
娘の亡きがらを抱っこして親子3人で写真を撮ったり、娘の手形足形をとったり、
お風呂に入れて身体を綺麗にしたり、ベビーウエアを着せたり、
娘の命名色紙を書いたり、娘用のアルバムを頂いたり、へその緒を頂いたりと、
今、一緒に居られる時間を大切にして過ごしました。

入院中の妻は、娘の棺に入れる副葬品として、フェルトで人形を作っていました。
2018042401.jpg
私達親子に似せたパンダ人形です。

娘との想い出の品が増えていくにつれて、それらの保管場所が必要になりました。
娘のために用意したけど使わなかったベビー用品も有りますし、母子手帳もへその緒も残ります。
じゃあ、献花台も兼ねた引き出し付きの置き場を用意しようという話になり、私が自作する事にしました。
今まで色んな物を工作してきましたが、これほど辛い工作は無いでしょう。
私は桐の材木を買うときから涙目でした。
自宅で加工しているときも泣いていたので、手元が狂い、ずいぶんと不格好な献花台になってしまいました。
しかしながら、今までで一番愛情を込めて作った工作物だと自負しております。
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献花用の花瓶は、使う予定だった哺乳瓶を流用しました。



4月27日。

妻の退院の日です。
娘も一緒に退院。
悲しい退院となってしまいました。
自宅で親子3人で最後の一晩を過ごしました。



4月28日。

娘の火葬の日。
最後のお別れです。

460gという小さな子の火葬のため、執行の人が気を遣って、弱い火力で火葬してくれました。
おかげで、娘のお骨は損傷が少なく、綺麗な状態で残りました。
それでも小さなお骨ですので、箸で拾うのは困難を極め、用意していた匙でお骨をすくい上げていきました。
お骨は全て残すことなく骨壺に入れて持ち帰りしました。

お骨をお墓に入れたり納骨するのは、あまりにも寂しかろうと思い、
骨壺は自宅の献花台にずっと置いておくことにしました。



娘とお別れはつらいものでした。
それでも、娘には感謝しかありません。
頑張ってお腹の中で成長していき、頑張って生きて産まれてきたのです。
娘と過ごしたのは、わずか8時間27分間だけでしたが、多くの想い出が残りました。

本当に有難う。







ここまで、読んでくださいまして、誠に有難う御座います。
悲しい話で済みません。

娘の事をウェブログに書くのは迷いましたが…、
娘が生きていた証を残していきたかったので、勇気を持って書き記しました。

私ども夫婦が心に負った傷はまだ癒えておりません。
あれほど好きだったFC岐阜の応援活動を行う気力が出てきません。
今は、妻のケアのため尽くそうと思います。
いつかは、傷が癒え、再び立ち直れる日が来るでしょう。

それまで、しばらく休養をいただきとうございます。
弊ウェブログの更新もお休みすることになります。
ごめんなさい。



私どもは子を喪いましたが、喪ったが故に、子供の大切さを身にしみて感じました。
そして、どの子も等しく愛おしく思えるような心境に至りました。
他所の子であっても、仲良く家族と過ごしているシーンを見ると、私も元気がわいてきます。
今、お子様がいらっしゃる親御さんは、より一層お子様に愛情を込めて大切に育てていってほしいと思います。
それが私の願いでございます。



 2018年5月5日「こどもの日」
 自宅にて涙を垂れ流しながら書き記す

 松尾 峻介
4月15日(日)ホーム長良川での徳島戦。

結果は、0-0の引き分けでした。

FC岐阜は2試合連続の完封。
良いですね。点を取られなければ負ける事はありません。
あとは勝つだけですね。

とは言え、私は試合を観ていないので、何とも言えませんが。(笑)


次節、アウェイ岡山では、勝利を掴んでくると信じております。
4月7日(土)のアウェイ東京ヴェルディ戦。

今、試合結果を知りました。
FC岐阜は、0-0の引き分けとの事。

無失点で抑えた事は自信になりますね。
次節以降に期待が持てそうです。

次節は、ホーム長良川での徳島戦。
勝ちましょう。
4月1日(日)ホーム長良川でのFC岐阜vs甲府。

私はこの試合も行けず、Twitterなどから得られる情報で、試合経過を確認していました。

前半を終えて、FC岐阜は1-0で1点リード。

試合が終わってみれば、FC岐阜は3-4で負けていました。


次節アウェイの東京ヴェルディ戦では、
FC岐阜が気持ちよく勝ってくれると信じております。